子供に語られるおとぎ話について、内容に各々の土地柄を反映した差違は見られるものの、共通点が多いものがある。
子供に社会的ルールを教えるための教訓を含んだ寓話など。
しかし今回聴いた話は、村の周辺地域に似たような話も聞かない(交易が少ないため?)
どちらかと言うと過去に村にあったゴシップ的な出来事が誇張されて伝わったものだろうか?
【フィクシオ大学民俗学研究室所属研究員、テル教授チーム、アリー氏の手記より抜粋】
小さな国の小さな町のそばに、大きな大きな森がありました。
その森のそばに、大きなおやしきがあって、一人のきぞくの男が、たった一人ですんでいました。きぞくの男はかわりもので、まいにちへんてこなものを作っては、町のみんなにおひろめをしていました。
ある日、きぞくの男は、これはまたいっとうへんてこなものをもって、町にやってきました。
それはまるで、らっかせいに手と足がはえたような、おとなの男ひとりぐらいの大きさの、しんちゅうでできたにんぎょうでした。
きぞくの男はとくいげなかおで、あつまった町のみんなにはなします。
「これはあたらしいふくである。これさえきれば、あまつそらのかなた、日もとどかぬふかいうみのそこ、どこへだっていくことができるのだ。」
町のみんなは、おかしくて、はははとわらいました。
そんなおもたいふくをきてなんて、おそらをとべっこありません。うみは入ったがさいご、しずんだきり、あがってこれないでしょう。
だれかがそういうと、きぞくの男はおこりました。
「そんなにおこるなら、ほんとうにそらをとんでみたらいい。このまえおれたちにみせたへんな車、あれはそらをとぶことができるんだろう」
「よかろう。みているがいい。」
きぞくの男はそういうと、町のみんなをひきつれて、大きな森をみわたすことのできる、高いがけっぷちにいきました。
そして、大きなはねのはえた、しゃりんが三つある車をよういしました。
「それでは、しょくん、しばしのおわかれだ。わたしはこれから、この広い大ぞらにたびに出る。」
おおきならっかせいのようなふくをきた、きぞくのおとこは、車にまたがり、がけっぷちにむかってはしりだしました。
町のみんなが止めるまもなく、きぞくの男をのせた車は、がけっぷちをとびだして、ゆっくりと下の森の中に、すいこまれるようにおちていきました。
町のみんなはおおあわてで、きぞくの男をさがしにふかい森の中に入っていきました。
でも、ふしぎなことに、どれだけさがしても、きぞくの男もはねのはえたくるまも、かけらさえみつけることができませんでした。
それっきり、きぞくの男のすがたをみた人は、だれもいませんでした。